千葉県は梨の「産出額」が全国一位です。
梨の生産が盛んな理由は多々あるのですが、主に以下の3点が挙げられます。
- 恵まれた自然条件
- 消費地との近さ
- 長い歴史と受け継がれてきたノウハウ
千葉県は海に囲まれた温暖な気候であるため関東のなかでは収穫期が早く、主力品種である「幸水」の収穫が8月上旬という最も暑くて梨が食べたくなる時期と重なることから、昔から千葉の梨は美味しいと評判でした。
また、千葉県の土壌は「関東ローム層」と呼ばれる火山灰土壌が多くて排水性が高いことから梨の栽培に最適で、梨の木が健康に育ち、甘くて美味しい果実が実りやすいのです。
消費地に近いことから、木の上で完熟させた梨を新鮮な状態で届けることができます。
また、お客様の声が届きやすいことから顧客視点で改善されてきたことも、千葉の梨が愛される理由です。
千葉県での梨の歴史は古く、江戸時代から栽培されています。
その長い歴史のなかで改善を繰り返し、受け継がれてきた技術が梨づくりを支えています。
梨は果樹のなかでも特に栽培が難しく、知識を要する作物。
だからこそ、技術の差がそのまま食味の差に繋がりやすく、栽培ノウハウの重要性が高いのです。
では、具体的に市川の梨の歴史はどのようなものなのでしょう?
千葉県において梨の栽培は江戸時代から行われていたと述べましたが、実は市川は、千葉県のなかで最も早く梨栽培が行われた地域なのです。
市川に初めて梨を伝えたのは、寺子屋の師匠をしていた川上善六という人物。
今から約230年前、八幡村(現市川市八幡)の善六は、江戸市民向けの梨栽培および販売を思い立ちました。
そして、美濃(岐阜県)で梨栽培が盛んであることを知り、足を運んだのです。
美濃を訪れた善六は、土質が八幡と酷似していることに気づきます。
善六は梨の枝をもらい、八幡宮法漸寺境内で梨園を開きました。
その3年後、みごとに梨が実り江戸の市場で高値で取引されるようになったのです。
善六は周囲の人々にも梨の栽培方法を教え、数年後には八幡村を中心に栽培が盛んになり江戸にて高級品として人気を博したそうです。
数ある品種の中で、市川の農家が育成して全国で一斉風靡したのが、「石井早生」です。
石井早生は、大正5年に「石井兼吉」という人物が人工交配によって創り出した品種です。
兼吉は梨の栽培農家でしたが、当時優良な早生品種がなかったため千葉県農業試験場に通い、栽培技術を学びました。
そして、大正5年にドイツの花粉を交配し、その果実から種をとり、その苗を接ぎ木して果実を実らせることに成功したのです。
「石井早生」は、他の早生品種よりも優秀な品種であったことから全国的に大きな反響を呼び、一時は全国的に栽培されました。
しかし、その後さらに優秀な早生品種が誕生したことから次第に減少し、今では栽培されなくなりましたが、その原木は市川市内に保存樹として残されています。
「市川で生まれた梨がある」この事実からも市川では熱心な研究が昔から行われていたことが伺えます。